機動戦士Vガンダムが素晴らしいと思う4つの理由。

ふと、本屋に立ち寄り、ホビージャパンというプラモ雑誌を手に取る。だいぶプラモなんて作っていなかったが、その紙面には私を静かに熱狂へと導く、機体が掲示されていた。
それはマスターグレードV2ガンダムである。

■TV版ガンダムで最強の機体「V2」

機動戦士ガンダムシリーズは35年もやっているせいで、様々な世界観がある。始まりの物語は宇宙世紀と言って、これは誰でも知っているアムロとシャアの物語だ。UC0079年から始まり、TVアニメとしての宇宙世紀はUC153年、つまり約80年後の世界で終わっている。もちろんこの頃の世界にはアムロもシャアもいない。アムロとシャアの戦いの余韻すら残っていないのがこのUC0153年、「機動戦士V(ヴィクトリー)ガンダム」の世界なのだ。

主人公ウッソ・エヴィンはひょんなことから、地球連邦軍に反旗を翻す「ザンスカール帝国」のイエロージャケットと呼ばれる特殊部隊がテスト運用していた「シャッコー」に乗り込み、そのザンスカール帝国にゲリラ的な闘いを挑む「神聖軍事同盟リガ・ミリティア」と共同でイエロージャケットを追い払うことに成功する。その時、密かにアナハイム・エレクトロニクスのフォン・ブラウンシティにて開発されていたVガンダムのメインパイロットとして活躍。様々な戦いと別れを経験し、アーティ・ジブラルタル宇宙空港から、マスドライバーを使い、母が待つ宇宙へと行くのであった。

宇宙での戦いで、一時捕虜になりながらも脱出、母、ミューラ・ミゲルが開発した「V2ガンダム」に乗り込み敵を駆逐していくのであった。Vガンダムは強化外装オプションが不足しており、追加武装としてのハングオーバーキャノンなどは、連邦軍がジャベリンなどに開発したものをVガンダム向けに改造し利用していた。しかし、汎用的なミノフスキーフライトでは激化する戦場に耐えられないことから、リガ・ミリティアはアナハイム・エレクトロニクスの別工場でミノフスキードライブという新型エンジンを開発。この暴力的な推進力に耐えうるマシンをフレームから再設計する必要があったためV2ガンダムが用意された。ミノフスキードライブは理論上は亜光速まで加速することができ、圧倒的な速度と出力で戦場を圧倒していった。

このミノフスキードライブは未完成であり、余剰出力を処理できないため、外部に排出する機構を実装している。ウッソ少年はこの余剰出力を通称「光の翼」として、ビームサーベルや、電磁波攻撃、果てはビームシールドとして利用。数多の戦場を乗り越えていく。これはあくまで設計通りの動きではなく、あくまで天才ウッソが13歳だからこそできる戦い方の象徴として、アニメでは表現されていた。ウッソは3つに分離でき、且つ替えの効くパーツであるトップ/ブーツをラジオコントロールで操作し、ザンスカールへ神風あたったくよろしくぶつけていく。大人ではとても考えつかない戦い方で、圧倒してく器用な少年であった。

また、終盤にアサルトパーツとバスターパーツが用意され、走攻守に優れたマシンになるも監督「富野由悠季」がそのような全部盛りなロボットが好きではないため、たった1話で全部破壊し、素の状態にしてしまった。

■悲しみの連鎖しかなく、監督すらうつ病になる作品

このようにあまりの強さに、初めて一切の破壊なく(パイロット含む)終戦を迎えたガンダムとして最強との声が高いが、作品としては、あまりにもキャラクターたちが敵味方問わず死にまくるという展開に最強の鬱作品とも表現される。

監督自体も、アニメ監督にならなければ自分は人殺しをやっていただろうと表現するぐらいであり、あのエヴァンゲリオンの庵野秀明も、絶賛する作風に皆殺しの富野とやゆされる所以を垣間見ることができる。この時の富野由悠季を黒富野といい、後年の∀ガンダムを白富野という。ただ、黒富野は今に始まったことではなく、そもそも海のトリトンの最終回の全滅オチ、伝説のイデオンの宇宙消滅オチ、ザンボット3の主人公だけ生き残るという同しようもないオチ、ダンバインの主人公死亡オチ、Zガンダムの主人公精神崩壊オチ、逆襲のシャアに見られる相打ちオチなど、バブル崩壊までの富野はとにかく人殺しの富野であった。

その集大成がこのVガンダムと言ってもいいだろう。対局にあるのは重戦機エルガイムである。主人公がちゃんと生き残っていたとしても下敷きとした「スター・ウォーズ」が大円団で終わるため、こちらも大円団で終わらせている。だが、Vガンダムは、主人公とヒロイン以外では兄貴分のオデロが意味もなく死亡、友人のトマーシュが行方不明、ライバル・クロノクル・アシャーはコクピットから投げ出されて、敵の要塞エンジェル・ハイロゥの破片に頭をぶつけて脳髄をバラマキ死亡。ヒロインの母、マリア・ピァ・アーモニアはタシロ・ヴァゴ大佐という俗物に乳を揉まれながら(小説版)、ウッソが放つビームで消滅した。黒幕であるカガチとズガンはエンジェル・ハイロゥの謎の力により、外宇宙へと連れ去られいく。そして、エンジェル・ハイロゥに囚われたサイキッカー(超能力者)達3万人は宇宙の彼方に行方不明となった。

実はこのシーンは反戦である。特攻をするのは若者ではない、年寄りだとして年寄りだけで戦艦を特攻させるのである。これによりザンスカール帝国軍は旗艦を失ったことで壊滅に至るのである。とにかく死にまくるのがVガンダムだ。そして、死に対して意味をもたせたり持たせなかったり、死とはそういうものだと言いたげである。特に貴重なミノフスキードライブを持ったV2コアファイターの予備を無駄にアドラステアへ特攻してなくさせたオリファー・イノエ等は、なんでそんなことをしたんだと全員で突っ込んでしまった。V1のコアファイターでも良かったじゃないかと。

監督が後日、ミノフスキードライブが強力すぎてもう1機V2があったらリガ・ミリティアがチートになるから破壊したと言っていたりする。どれだけマゾだと。確かに、あの状態でV2が二機あったら、絵的にも見分けられないし、だいたい、使いこなせるだけのキャラがいなかった。(乗せるならオデロか、マーベットしかいないが、ふたりともエース級ではないし、シュラク隊も殺す予定だから乗せられない)やるなら、ウッソ級のライバルキャラを創りださなくてはいけない。そんな時間も余裕もなかったはずである。

そういうことが積み重なってV2は1機になり、そのかわりマーベットにウッソのVダッシュガンダムが、シュラク隊にはVガンダムヘキサが充てがわれることになる。オデロとトマーシュにはガンブラスターが配備され、最終話近くまで生き残ることになった。この時代の汎用機はジムやジェガンのようなポジションながら、実際にはνガンダム、いやガンダムF91すら凌駕する性能を持っている。

■ファンネルが意味を成さない世界、そしてサイコミュ。

これがUC0153の戦争だった。そして、オールレンジ攻撃装置が廃れてしまい、ファンネルはほとんど出てこない。出てきてもインコム的な有線系サイコミュばかりである。この頃のサイコミュはヒューマンインタフェースのサポート装置という扱いで、オールドタイプでもニュータイプ的に使える用に調整したものだ。実際、ウッソが乗るV2ガンダムにはそういったインターフェースは見当たらないが、一節にはコクピットのフレームなどにシームレスに仕込まれており、かなりサポートしていたのではないかと見られている。そうでない場合、あのような反応速度でMSが動けるのか疑問だという話もあった。

だが、ザンネックで超高高度から強烈なビーム攻撃を仕掛けていたファラ・グリフォン中佐は鈴の音と連動した強力なサイコミュにより、射撃性能を高め驚異的な命中率を誇っていた。ファラの場合は強化人間だが、この時代のパイロットは何かしらの強化は簡単に受けているため、オーガスタ研究所で行われていた無慈悲な人体実験のそれとはだいぶ異なる。しかし、初登場時のどこか女性的な甘さが残るファラとは違い再登場の無慈悲かつその欲望に純粋なファラを見る限りは人間の欲求を顕在化させるようにマインド・コントロールに近い何かを行ったと考えるのが妥当だろう。どうように、ウッソの初恋の人、ウーイッグのカテジナ・ルースがザンスカール帝国のイエロージャケットのパイロットにシームレスになれたのも、強化のおかげだという話だった。この時も強烈な暗示的なマインド・コントロールにより、予測できるのは邪魔なウッソという対象を振り払うように設計されていたのではないかと考えられる。

このように、過去の作品のエッセンスを100年立ったのだからと、自然に取り入れるあたりに富野由悠季というクリエイターの底力を感じた。これは河森正治にも同じことが言えるが、無人兵器ゴーストV9がマクロスプラスで登場し、観客を絶望へと導いたはずだが、無人兵器ゴーストは実は初代から存在しており、今に始まったわけではない。過去に作った設定をそれとなくベースにして歴史の中に取り込んでいく手法は近年の作家があまり取らない手法というか、設定をきっちり回収するというやり方にこだわるあたりが、この世代の特徴だと思う。

■最後はガイア・ギアへと続く

ミノフスキードライブからはじまった、この話はミノフスキードライブで終わらせようと思う。ミノフスキードライブは実はUC0200年代まで続いて使っている。それは小説とラジオドラマでしか展開されていない、ガイア・ギアという作品でだ。主人公アフランシ・シャアはシャアのクローンである。この設定はどこかでと思ったあなたはガンダムUCファンである。フル・フロンタルの元ネタはこのアフランシである。このガイア・ギアという作品ではミノフスキードライブは一般兵装となっていて、普通に運用されている。この思考の距離の埋め方が抜群にうまいのが富野由悠季なのである。今の作家ならば、待った新しいとんでもないシステムをだしてきてスーパーロボット的にしてしまうのだが、パイロットバージョンから始まり、量産型に落としこむにはどれぐらいの時間が必要なのかを計算できるのが団塊世代だと私は思っている。

ものづくりの基本がわかっているからこそ、モックがあり、テストタイプがあり、そして先行量産型あって、量産に落とし込まれると。そういう意味だとGMは時間がなかったからこそ初期型のガンダムをダウンサイジングして量産したが、本来的には量産型のほうが性能は良いのである。ただ、F1のようにワンオフの特注機としての存在であるならば、ガンダムで言うところのGPシリーズであるならば話は別なのだ。話を戻すと、普通になったとんでもエンジンを積んだMSの後継機マン・マシーンのガイア・ギアとシャアのクローン、アフランシ・シャアが宇宙と地球をめぐって駆け巡る話である。そして恋人は相変わらず褐色の少女だ。

そういえば、シャアもララァという褐色の少女をインドの売春宿から救っていたし、ウッソもシャクティ・カリンという褐色の少女が傍らにいた。ちなみに、母マリアは白人であり、売春宿で働いていた時に誰の子かわからずみごもったのがシャクティである。ある意味処女懐妊とは誰の子供かわからないという時に使う方便なのかもしれない。ちなみに、ウッソ・エヴィンはシャアの孫ではないかという話がある。理由は母、ミューラ・ミゲルの姓に注目してほしい。シャアが最後に抱いた女性はナナイ・ミゲル、ニュータイプ研究所の所長である。ただ、この噂は俗説であるが、天才的なウッソを見ていればシャアの血を引いていてもと期待したくなるのも仕方がない話だ。ただ、褐色の少女を好きになる、面倒を見なければいけないとお思うのは、血のなせる技なのかもしれない。

話をもうちど戻すと、小説版VガンダムにはV2ガンダムは出てこない。V1の意匠を引き継いだ、Vセカンドという新規設計MSが登場する。こちらは、ミノフスキードライブを標準搭載したV1というイメージだが、V2のように外部オプションとしてのアサルト/バスターを持つような非効率なことをせず、ロングレンジキャノンと、メガビームシールドをバックパックに装着することで、メインエンジンからのエネルギーを直接供給し、大出力による攻撃を可能としている。このため、設計として優れているのはどちらかと言うとVセカンドだと言われている。しかし、プラモデル化されたことは無い。

このように、ガンダムの宇宙世紀最強と呼ばれたV2ガンダムが出るVガンダムという作品は、本来的には正当性を持ったガンダムの最終話としてよく出来ているのであり、私はこういう点を持って、名作だと呼ぶにふさわしいと思うのだ。∀ は名作である。しかし、あれは童話である。メルヘンの世界に巨人がいたのだ。ホワイトドールと褐色の少年という童話なのだ。だからこそ、ガンダムの最終話としてのVガンダムは良く出来ているのである。