よく、上場した経営者とか、若手でお金集めた経営者に、○○知ってる?と、知らないと答える人が一定の割合でいる。どうもアウトソーシングしているから、知る必要がないというのが彼らの根拠だそうだ。 ...
転換期
どうも転換期らしい。
転換期ってなんだ?と思い馳せながら、今までやってきたこととどう結びつくんだ?と思った。 悶々と考えているが、やるべきことをこなし今日を迎える。 実は昨年末にお迎えした神様を昨日お返ししてきた。 商売繁盛の神様だった。 しかし、オフィスを移転してからなかなかモヤモヤしている感じで、なかなかスッキリしない。
何故だろう何故だろう?
そう考えていると、あることを思いつく。
本当はオフィスを変えた時はお返しして新たな神様をお迎えしなければいけなかったのだ。
もっと言えば、この神様は昨年末に飾って、翌年戻ってきた時、残酷なことに床に転がっていた。そして、正月だから5日も放置していた事になり、僕はとんでも無いことをしたと悟った。
お迎えしたばかりなのに転落している!
これは由々しきことである。つまり、神様は怒っていたのだ!
ずっと怒りながら、半年間もお付き合い頂いたのだ。だからお返ししてきた。
もちろん、感謝と謝罪の念を込めてだ。
そして、僕は神のいなくなった新たな世界で、明日を生きていくのだ。
神に頼っているうちは半人前である。人は人として意思を持って生きている。
だからこそ、自分の意思で歩いていかなければいけない。
古くなった武器はそのままに新しく何かを身につけるべきだ。
僕は何者になりたかったのか、と思うと、やはりクリエイターなんだろうと思う。
しかし、その前にテクノロジーを身につけたのは何かの示唆だと思うし、テクノロジー側がクリエイティブを誤解しているし、クリエイティブ側がテクノロジーを誤解している側面もある。
それは、ひとえにソーシャルゲームのポジション問題に端を欲していると思う。また、次世代のクリエイティブはもう一段高いところで成立させなくてはいけないので、そのローコンテキストなところと、ハイコンテキストなところの融合が大事だ。
ハイコンテキストの機械化(=AI化)はこれからもやり続けなければいけないことだ。ローコンテキストから類推する技術はあれども、それも限界がある。僕たちは常に考え続けなければいけない。
絵的な表現の世界だけが成長していくが、私はその根底にあるストーリーこそがサステイナブルには必要だと考えている。それがあるからこその絵なのだ。
見た目はとてもわかりやすい変化である。言葉で語らなくても、それだけで何かがわかる事もある。そして人の耳目も集めやすい。
しかしだ。
人類が人類として成長できたのは、言語の発明である。そして、妄想を言葉として表した事で、人は文化を文明へと昇格させてきた。つまりは、我々は言葉を今一度見直す時が来ているのではないか?と言う事なのである。
言葉は偉大だ。
その一言が世界を変えることがある。良くも悪くも人の運命を変えることがある。いや、変えてきた。だからこそ、私たちはその言葉の非連続的な流れに感謝しなければならず、見つめなおすべきなのだ。
人が拡大する時、言葉も拡大してきた。パピルスが出来たことで、持ち運びができた。紙から巻物に発展し、書くことから印刷へ変わり、世界中に言葉が溢れてきた。そして、人の思いがそこに乗るのだ。キリスト教は聖書が印刷できたから世界中に発展したグローバル宗教だと思うし、宗派で無くともその教えをわかっている人が多い。
つまり、この神と人と悪魔の交わり方が書かれた書物は一見すれば妄想の中のファンタジーだが、ストーリーに意味が乗ったことで、伝説へと変わった。
このように、我々は常にファンタジーと共にあるのだが、人はそれを否定する。実際、非現実な話を象徴としている映画会社が世界でも日本でもNo1だ。ゲームも、ありえないことをありえるからこそ、発展し続けている。
という事はだ。
世の中は虚構によって作られているといっても過言ではない。現に、インフレという経済学用語の発端は人の過大な妄想の過程であり、バブル崩壊とは、その成れの果てである。
人はメディアという、インフレさせる箱に心奪われるのは、この現実こそが仮想空間であると思っているからである。つまり、あらゆる宗教にある、天国や極楽浄土に旅立ちたいのだ。それほどにこの世の生きるという行為は地獄なのであり、七つの大罪は私たちの生活と常に隣り合わせなのだから、ここは奈落だと言ってもいい。
実際、地球は檻であるというファンタジーもあるが、それはまた別の話だ。
さて、話を戻すと、私の人生は転換期らしい。だから、これまでに身につけたものから違うところにシフトさせなければいけないし、これまでやった事もうまく活用していく必要があるとは思うが、固執する必要はなさそうだ。
いよいよ、僕にもクリエイターとしての道が拓けるのかもしれない。(とは言っても、プロデューサーとかディレクターなんだと思うけど)
と、いう妄想はさておき、先ほども見つけた声なき声が世の中に届かなくなったというのは、最近のフェイスブックやツイッターのアルゴリズム調整でも顕著で、マイノリティがAIによって黙殺されているのはわかりきった事である。それは仕方がない。だって統計学なんだから、多様性は欠如する。