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起業をすること、そして人生の意味

 今まで、個人と会社の線引がうまく出来ていませんでした。Socialの延長線上だったり、ブログもただ書けと言われて書いていたりと全然面白くない。だから続かなかったと言うのもあります。
 
 そもそも、なぜ会社を立ち上げたのかとか書かなければいけないことがたくさんあるはずなのに恥ずかしがって書いてきませんでした。
 
 「どーせ、読まれないし」
 
 そう思ってずっと中途半端に書いていたのですが、いやいや待てよと。
 
 どうせ読まれていないなら、好き放題書いたほうが健全じゃないか?そう思いました。どうして、そう思ったかというと、コルク代表の佐渡島庸平さんが主催する「コルクラボ」のランドクルーになったからです。入ったからというよりも、そこにいるメンバーの熱量に触発されたからと言ってもいいでしょう。
 

本当の起業の意味

 昔から、社会人、しかも大手企業にいると好き勝手に主張できません。ゲシュタポみたいにTwitterとかマジで上司に監視されていました。
 一介の下級武士が、主張なぞせんでいい!そんな封建社会のような空気が嫌で出たはずでした。しかし、待っていたのはさらなる同調圧力。そういうこと言わないほうが良いですよとかささやき女将のごとく言ってくる人もいます。
 脱藩したら守ってくれるものもなくなったので、自由だけど、自由が更にない、そしたらどうしたら良いのかと悩むわけです。力が欲しいと願ったりするわけですね。しかし、悪魔との契約をするほど勇気はなかったりしますし、そういう囁きこそ天命だ、だから自分の内なる声を信じず止まれと、そうやってこの3年ほど鳴かず飛ばずで生きてきました。
 それがいけなかった。
 全部関係ありません。人の意見は聞く、それを持って自分で判断する。良いと思ったものは良いわけで、納得いかなければ実行しなければよいのです。天命でも何でも無く、よく考えろよという案内でしか無い。つまり、鵜呑みにしてはいけないということ。
 

インターネット的を読んで圧倒的に変わった文章構成

 ラボの課題として糸井重里さんのインターネット的を読んでこいというのがあって、自分なりに考察が必要だった。文体を真似てみるというのもその中に入れてみた。
 これが自分の中でブレイクスルーとなったのは間違いない。このブログは糸井さんの文体を真似てないですけど。あぁ、こんなに柔らかく書くのってありなんだ、そうなんだと。 この本の中で、象徴的な言葉として「銀」と「毛」というのがある。(自分は完全スルーしていた言葉なんだけど、みんなが象徴的に使うので使っている)
 
 僕はとにかく銀的に文章を書いてきた人間でしたが、これやめれば良いんじゃね?的な、もっと毛になろうよと。何百字書いたら、H3タグ入れればGoogleさんは理解してくれるよとか、ホントはどうでもいいんじゃないかなと。
 
 それよりも、より多くの読者を獲得して、僕と、会社と、サービスを知ってもらったほうが良いんじゃないかな?って思うようになったのは間違いないです。
 
 だって、ほら、サービスが「絵本を作れる」やつですもん。VRとかフィンテックとかじゃないから。絵本ですよ、ソシャゲとかじゃないですよ。KPIとかからすごく離れてそうですよね?(いや、実際はめちゃくちゃKPIの設計どうするか考えてますけど)
 
 「銀」的に語れば、日本の書籍市場が1兆6000億円で、書籍は半分ぐらいの8000億円。うち児童書市場が800億円、そのうち絵本市場が315億円です。グローバルの児童書市場は約100億$(1兆円)。マーケットが小さいからこそ競争よりも協業文化に近く、全体で引き上げましょうという力が集まりやすいです。
 
 ちなみに、話題になったプペルは27万部ですから、市場としてみれば5億4000万円、つまり市場の1.5%を個人で作ったということになります。また、あれは絵本というよりは画集に文章が入ったというのが正しいのですが、そこのマーケットは存在しなかったのでビジネスとして考えれば大成功です。
 
 でもね、こんなこと読んで喜ぶ人ってどれだけいるのよ、と思ったりしていて。それよりも心の底から読んでよかったなとか思える文章だったり、絵本だったりを作っていけたほうが良い。それで喜ぶ人が買った人も、作ったクリエイターも、そしてそれを取り扱った我々も三方よしを作るのがプラットフォーマーとしての責務なんじゃないかなと。
 
 そういうこともあって、もうガッツリ書こうと。そう思いました。
 

売れないのはストーリーが悪いから?

 売れないのはストーリーが悪いから、だけでは当然無いんですが、ビジュアルが悪くても話が面白ければカルト的人気になるだろうと思います。しかし、圧倒的にビジュアルがあるとそれだけで欲しいと思わせられます。
 
 だから、どっちかがないといけませんが、絵は修行が本当に必要です。文章だけで読ませようとすると本当に修業が必要です。
 
 ですが、話の筋だけは勉強である程度なんとか出来ます。フレームワークなのでまずは、古典作品の著作権が切れているものをベースに扱ってみる。次に少しだけ改変してみる、もう少し改変してみる、キャラクターだけ使ってみる、世界観だけ使ってみる、道具だけ使ってみる、完全オリジナルに挑戦なんて流れがあっても良いと思うし、有名作品だって下敷きに使っているのは、西遊記だったりギリシャ神話だったりするわけです。
 
 つまり、売れてる作品ほど、最初の取っ掛かりは誰もが知っていそうな話で敷居を下げて、読ませて面白いねと思わせてファンを確実に掴んでいるんです。もちろん、オリジナルを狙っちゃいけないなんて言ってません。でも、ホームランを狙うよりもまずはヒットを打ちませんか?バントで内野安打にしませんか?そういう話をしています。
 
 従来のエンターテイメント業界は0か100しか無く、認めるのは10億、100億儲けられそうなものだけが引き上げられてきましたが、そこよりもまずは年商2000万ぐらいをまず目指して頑張る人たちがたくさん出てきてもよいのではと思っています。
 
 アニメーターの搾取問題が話題として取り沙汰されていますが、アニメーションからの所得は110万円かもしれませんが、ネットで販売する作品の累計額がそれよりも多ければ、副業で儲けることが主となっていくと思います。そうしたら、元々の本業は趣味になりますが、精神的な余裕があるのでもっと全力で取り組めるでしょう。
 
 広告を主とした従来型のアニメビジネスは限界に来て、クオリティを担保できる限定的な作品だけお金が投入され、たぶん劇場公開作品にシフトしていき、低クオリティ作品はもう世に出ないか、インディーズとしてのみ公開されていくのかもしれないなぁと思っています。
 
 テレビドラマもほとんど同じ傾向かもしれない。配信の場が無ければ無価値ですしね。だから、次世代型の配信の場も作っていかなければいけない。それはVRとかではなく。スマホとかでもない。もう、個人消費の時代は終わりが来ている。視聴者のニーズばかり追いかけていてもダメ出し、創りての独りよがりでもいけない。
 
 だから、半歩先の未来をクリエイター側は出し続けなければいけない。だから産みの苦しみが存在する。
 
 開けない夜は無いし、希望がない絶望もない
 まぁ、誰でも経営をしていたらHard Thingsに陥ることはあります。苦しいときにこそ考え抜くチャンスだったりします。ピンチはチャンスとはよくいいますが、チャンスはチャンスでしか無いのです。死に至る窮地に何度も遭遇する度に不死鳥のように舞い戻ってくる企業と経営者が会社に永続的な価値をもたらすのです。
 

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