日本のコンテンツライツは黒船にやられてしまうのか!?

デジタルコンテンツ関連にチャレンジして行こうと考えておりますので、先日町の本屋で手に取った、この書籍界のドン角川会長の書籍を読んでいます。

この書籍は現在のコンテンツ業界のあり方について、黒船(ギャング4)がどのようにしかけて来ているのかを解説しているのですが、その前半部分のコンテンツデリバリー部分は、既にクラウド化する世界(ニコラス・G・カー著)などで言い古された内容ですのでありきたりなのですが、後半部分の著作権部分のドン達とのディスカッションが非常に面白いです。

そもそも著作権とはから始まり、現在の著作権のありようを話しあいの内容からフェアユース規定に至るまで、どう扱ってよいのかを議論していたりします。

そんなに詳しくないし、専門家でもないのであれなのですが、結局、同一性保持権の主張から始まるフェアユース規定の制定はこうあるべきという話が書いてあります。

また、フェアユースをwikipediaで調べると

麻生太郎首相を本部長とする政府の知的財産戦略本部は、日本の著作権法の著作権制限規定は図書館での複製にかかわる第31条をはじめとして著作物利用の個別具体の事例に沿って規定されている一方で技術革新のスピードや変化の速い社会状況においては適切に実態を反映することは困難であることなどからフェアユース規定と同様の著作権制限の一般規定(権利制限の一般規定)を導入することが適当であるとし、文化審議会著作権分科会などで検討され[4]、2010年1月20日、報告書が文化庁傘下の文化審議会著作権分科会法制問題小委員会に提出された[5]。もっとも、検討されるのみで、現在までのところ、フェアユース規定は法律化されていない。

となっており、この部分はまだまだ課題が多いと思われます。日本版フェアユースでは以下のような3つのパターンが考えられており、

著作権の権利制限の一般規定(いわゆる日本版フェアユース)

 A類型:著作物の付随的な利用
B類型:適法利用の仮定における著作物の利用
C類型:著作物の表現を享受しない利用

検討されておりますが、全く進んでいない模様です。ここについては、首相官邸の知的財産権本部が明治32年(1899年)に制定された旧著作権法(2007年改訂)から色濃く継承された人格権が邪魔をしており、海外のように財産権にシフトしない事により、首相官邸は著作権を文化と産業で分離していないが、著作権審議会は文化として考えているため、人格権部分が平行線になっているという事らしいです。ここら辺も結局、ユーザを無視しているという話であって、過去の遺産は文化だが、今の生きているコンテンツは財産であると言う定義にしたらよいのではないかと思うのですよ。ここら辺が役人が決めていたり、自称文化人が決めているというのが辛いですね。現実にはみんなご飯食べるかどうかの瀬戸際かもしれないのに。

角川会長の言葉から引用すると、魔法のiらんど(角川グループ)は180万タイトル/年の小説が投稿されている。ユーザ数は60万人(ざっくり一人当たり3作品/年)で契約を文書にて取り交わしていない。角川会長はやりたいけど60万人は無理ではないかというが、中山信弘教授は利用規約で縛れと言っていました。Googleとかの著作権はまさにそうやって管理してますもんね。また、中川教授はシュリンクラップ契約をすべきではないかと書いており、私の考えは中川さんよりです。合理的ですし、グローバルではこれがデファクトな気がします。

また、現在の著作権法では2007年に法改正があり、違法は懲役10年以下、1000万以下の罰金となっているようです。また、2009年にはさらに国会図書館の文書は自由にデジタル化出来る様になったが、利用には権利者(著作者)の許諾が居るという面倒な仕組みになっているそうです。ここで、長尾国会図書館館長が国からの補助金127億円を利用して、毎年約100万冊をデジタル化しているそうですが、内10%に相当する10億〜14億が著作権者の捜索に当てられているというのが現状です。この捜索が、創作にあてられたらどれだけの人がクリエイティブになれるのでしょうか?こんなの、発行後○○年立った著作物且つ権利者が不明な場合は権利者の許諾無く電子化出来るものとするとか、公示して1年以内に名乗り出なかった場合は公共物として扱うとかしてしまってサンクコストにしないようにすれば良いと思うのです。1000万ぐらいなら何とかなりますが、さすがに二桁億円は見逃せません。文化財としてもちょっとやり過ぎなんじゃないでしょうか。ちなみに、これは100万冊の7割〜8割が対象となっている為と書いてあり、そんなにあるなら無駄じゃん、もっと合理的にやれば良いんじゃないの?って思うんです。そもそも自分で自分の著作権管理していない方が悪い訳だし、マスコミ使ってでも告知して知らなければ権利を奪いますよって良いと思うんですよ。そもそも自分で管理出来ていない方が悪い。という話も書いてあって著作者データベースを作りたいって書いているんですね。それは理解出来ますがベンダーに頼んだ瞬間に数億円が吹っ飛ぶという、これぞベンチャーの出番なきがします。ちなみにここで書いてある著作物とは明治、大正から1968年までの著作物を指すそうです。刊行後30年〜40年ぐらいのもので、著作者が分からないものが相当数あるようです。これからみても、どれだけ契約関係がいい加減だったのかが良くわかると思います。

ここで、著作権が継承出来てしまうのが問題で、1代限りの権利にして死後はパブリックドメイン化すれば良いと思うんですよ。それこそマイナンバーと連動して著作物の著作権管理が出来れば良いと思います。1代限りの財産であれば、文化としても残るし、財産としても金銭になっているでしょうから継承も出来る。

それぐらいで良いと思うんですよ。

この考え方はクリエイティブ・コモンズなんですが、だからといって同一性保持権をどう考えるかとはまた別個なんだなという結論になります。同一性保持権については面白くて、2D映画を3D映画にしたら同一性保持権を侵しているという事になりかねない(ある意味改変しているから)となるみたいですが、重要なのはここに、著作者本人の合意が無い場合にとあるので、著作権を個人格から法人格に移し替えれば良いし、契約で縛れば問題ないですね、となります。ここら辺が、難しく、契約を有耶無耶にしたい人たちがこの業界に跳梁跋扈しているようであるというのは何となくひしひしと感じました。

ただ、ここに出てくるのは商売人ではなく大学教授だったり役人だったりするのでビジネスモデルが小さく、誰が喜ぶのだろうか?と疑問になるものが多い訳です。ここら辺が議論が為尽くしされていないなぁと思うところに寄ります。なので、中川教授の言う通り、契約で縛れば良いと思います。途中、ドワンゴの川上会長との対談も書いてあるのですが、2次創作の権利を渡す事で創作者へのリスペクトが生まれるため、大切にしないものはいないという内容があります。これはある意味正しく、音楽で言うところのトリビュート作品だと思いますので、パクるがわとパクられる側の双方の立ち位置をまずは明確にするところを正確に記せる場を生み出す必要があると思います。

また、村瀬拓男弁護士とのやりとりでは、自炊部分と絶版問題に触れていて、出版社として紙で出せるほど売れないから出さないというのは言い訳として良くなく、電子書籍としてフォロー出来るのであれば、ダウンロードさせれば良いのだから電子書籍として上げる事で自炊行為を野放しにしないわけであると話しています。これについては前回私も述べたところで、正にそうだと思います。単純に機会損失しているだけだと思います。

最後にモノポリーを警戒しているようですが、既につぶれましたがインデックスという会社がパテントを会社毎買収し、似たようなことをしていましたが、別の理由で消えました。つまり、コンテンツ自体にもそれぞれ寿命があり、寿命とはその作品の深さに影響してくると思います。全てが全て夏目漱石の作品だったり、芥川龍之介の作品だったりする訳ではないという事ですね。ということは、現在議論されている著作権のありよう自体もあまり意味が無いものかもしれなく、ストックビジネスではなく結果的にフロービジネスであると考えられます。ところが、議論している方はストックされるべきものだと考えられていて、ストックビジネスになるものは極わずかで、ほとんどがフローとなっている事実を無視しているのではないでしょうか?

そう私は思います。強大なピラミッド構造のまさに弱肉強食な世界で維持されている日本のコンテンツビジネスですが、一部の議論は社会主義にも近いのではないでしょうか?国内だけでなく世界で通用して行く為にも一刻も早くこういった矛盾を取り除く必要性がありそうです。