稼ぐ、稼がないが本を書く動機なのか

本日は、津田大介さんが呟かれていた内容から。

電子書籍で月100万円超売り上げる主婦も登場!日本でも見えてきた“稼げる個人出版”の可能性

E★エブリスタでは課金システム以外にも着目すべき点が多々ある。「売る場」としてだけでなく、「作る場」としての環境が整っていることもその1つだ。

「ユーザーが自分の作品をネット上でプロの編集者に見てもらえる“ネット持ち込み”サービスも提供している。具体的には提携した大手出版社が当サイトに出張編集部を開設し、プロの編集者が持ち込み作品をチェックする仕組みを整えている。すでに集英社のマーガレット編集部が開設。今後もプロの編集者による支援を拡充していきたい」と、E★エブリスタの池上真之社長は話す。作品作りのノウハウを持ち合わせないビギナーにとっては心強いサービスだろう。

一方、作品のマーケティングデータを見ることができるのも、E★エブリスタの利点だ。読者の性別、年齢のほか、日々の販売部数などもグラフで視覚的に確認できる。著者はこれを見て、連載中に販売部数が急落した場合は原因を分析し、その後の話の内容を見直すことも可能だ。

また、読者は作品に対しコメントを書き込めるので、連載中であればコメントを参考に話の展開を調整することも、その気になれば可能だ。実際に前出の梨里緒さんは読者の反応を見ながらストーリーを考えていったそうだ。こういったインタラクティブ性を加味しながらの作品作りも可能になっている。

結局この流れってあれ?と思ったのですが、エブリスタさんはDeNAさんとdocomoさんの合弁なので、納得しました。なんでか、旧態然とした作品コントロールをやっているのだろうか思っていたのですが、なるほどと。マーケットを作っている訳ではなく、既存マーケットの流れをそのまま持って来ているという感じなんですね。

また、40pに制御しているため、ショートショートの連載ものという感じになっていそうですね。また、インタラクティブに変えていくといのは連続テレビ小説や、ジャンプの作品等にも見られて良いと思いますが、2000年代のやり方の用に思えます。

エブリスタ、スマホ作家を目指すクリエイターの育成制度「スマホ作家特区」設立

スマホ作家特区は、これからスマホ向け作品で作家として生計を立てていきたい、有名になりたいというクリエイターから“NEXTスマホ作家”を選び、半年総額1,000万円の育成費枠から毎月10~20万円の援助を行い、作品制作に集中できる環境を提供する制度です。
“NEXTスマホ作家”に選ばれたクリエイターは、E★エブリスタを通じた収入で生活ができるようになるまで援助金が支給されます。

本日のプレスリリースからですが、確かにクリエイターにとっては非常に良いのかも知れませんが、きっと生み出せる人はどんな環境であっても生み出せるし、ある種のハングリー精神もないと魂が籠らないのではなんて邪推をしてしまうのですが、より集中出来る環境をというのは良いと思います。

ただし、作家性の究極は処女作、新人という過程において発揮されるため、そこをどのようにコントロール出来るのかが課題かと思います。例えば、ハリーポッターを書いたJ・K・ローリングさんは様々な困難を乗り越えて、全世界に夢を与えてくれました。そしてご自身にも多額の金銭を手に入れる事になったわけですが、別に集中する環境にあった訳ではなく覚悟を持って立ち向かったというのが正しい所でしょう。

このように作家性というものは主人公にも広く反映される訳であり、苦しさを乗り越える事こそヒロイックファンタジーの根源であるのならば、自身も何かしらの状況に置く必要があるのではないだろうか、等と私などは思ってしまいます。

それは私自身が、ギリギリにならないと動かない性質であるからなのですが、クリエイターがなぜ尊敬されるかというと0から生み出すからであり、そうでないのであればやはりそこそこになってしまうのではないか、歴史に残る作品は生まれづらいのではないか、と思うのです。

そこそこ儲かる、ちょっとリッチな主婦やちょっとリッチな女子大生を生み出す事には成功しても、世界に名を馳せる大作家がそこから登場してくるのかというとまた違うのかな、というのが率直な意見となります。もちろん、登場はする可能性はあるのですが。

だからといって、喰うに喰えず貧乏しろという訳ではなく、生み出す事の尊さは、その人生の過程にある、特に処女作はということを言いたい訳でして、誰かに作られた面白さは100年持つ作品にはならないのではないか、まさにフロー型ビジネスに乗っかった作品ではな無いかという事です。

結局売れるから、稼ぎたいから書くという事と、物語を純粋に構築して行く事が楽しめているのかという過程において、誰かの作品になってはいけないと思います。特に処女作においては。もちろん、これはアニメや漫画等の分業など商業部分が多大に占めるものについてはまた違うと思うのですが、この文章を書き作品に仕上げるという部分の根幹については、書き上げる所まではまずは誰の手も加えずに進めた方が良いのではないかとは思います。まずは、純粋な楽しみとして。

そこを超えた先にある部分において、商業的な付加価値が付いて回る、つまりは処女性の欠落という事になるのですが、そうなって始めて商業的な価値を考えていく方がずっと楽しいのではないか、私はそう思います。

ここら辺については、継続的に考えていきたいと思います。

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